自分を守るために、傷つけないように
思い込みをし
結果、残酷にも自分を生きずらくし、苦しくした。
自覚はないが、
あえて見たくないものを見ないようにしてきた。
見たくないものを見てないから、
世界が正しく見れていない。(人は見たいと思うもの以外は見ない。都合の良い。)
見たくないものを見る
世界を正しく見る
そして、すべては自分を守るために、人のせいにして生きてきただけなんだという事実、
この絶望を受け入れる。
これ以外に先はない。
自分が大きなことから、
日常の些細なことまで、全てを人のせいにし、
被害者ズラをして生きているか自覚する。
しまいには、「腰が痛い」「足が痛い」と自分の身体のせいにし、病気をやって
それでも正当化できないと、
「不器用だから」「どうせ自分なんて」と自分自身のせいにし、不幸な自分をやっている。
自分を守るために、
正当化するために、
誰かのせいにしていたはずなのに
最終的には、正当化できないから、
自分自身のせいにしている
この構造を自覚して、この絶望に自覚して、受け入れることから始めよう。
自分を正当化するためにつくってしまった思い込みに気付いて、
もうそんな思い込みはいらない、
むしろ、邪魔にしかなっていない。
生きづらさの原因になっていることに気付いて
誰かのせいにすることなく
自分の責任のもとで自分らしく生きよう。
自分を守るためにやったことだから、
身体の痛みや病気も
生きづらさも
自分でやめられる。
日常の中に「ある」を意識し、
そのことは決して当たり前でない事に気付き、感謝する
1つ1つを丁寧に生きる。