被害者ぶって、自分を守ることが目的になっている生き方

未分類

今日は挑戦しないというのは逃げであり、
自分を守るために無自覚にやっている
んだよという話をします。

前提として、挑戦しないというのを批判する内容ではありません。
ただ、本心としてやりたいんですか?やりたくないんですか?ということです。

やりたければやればいいし、
やりたくなければやらなければいい。
もっと言うと、
やりたくないのに、やりたいことがあるように見せたいなら
そうすればいい。

私も長らく、他人の目を気にして生きてきました。
いわゆる他人軸。

やるかやらないかは他人の評価
あの人は、どう思うかな
嫌われないかな、批判されないかな。

考えているのは
いつも自分が傷つかない事
です。

頭では、いやいや、外野に好きに言わせておけばいいじゃん
なんて思っても、いざその場面になると勇気が出ない。

これは、傷いた過去が癒されていないからなんです。
過去に批判されて傷ついた自分をそのままにしているから
いざ、やろうとしても、
「待って待って!もう傷つくのはイヤだよ」と
その先に行けないんですね。

守ってしまって、こわがって、チャレンジできない。
また失敗したらどうしよう。
余計なことを考えて今に集中できていない。

結果、チャレンジできないとか、
チャレンジしても失敗した時の恐怖で
ソワソワしてうまくいかない。
結果、現実は変わらない。

それだと、自分を納得させられないから
「家族が反対したから」
「腰が痛いから」
「自分なんてやっても・・・」
「どうせ・・・」
「お金がないから・・・」
とできない理由を並べて

あいつが悪い、こいつが悪い
世間が悪い、世の中が悪い

だから、自分は仕方がないと
自分を被害者にして、正当化している。

これだと目的がズレているんですね。
自分を傷つけないことが目的になっている。

だから生きる目的が大事になる。
この目的をやるために生きている。
だとしたら傷つくとか関係なくなる。
だって、そのために生きてるんだから。
傷ついたとしても、それは結果そうなっているだけ。

傷つきたくないからやらないではなくて、
生きる目的にそってやった結果、傷ついただけ。
でも、やりたいことをやって批判されたんだから
それは、仕方がないよね・・・
というか、どうでもいいよね。
外野には関係ないよねフォルトになるから。逆回転。

でも、頭でわかっても腑に落ちないとできないので、
頭でわかったら、あとは過去を癒すしかない。

タイトルとURLをコピーしました