あるがままに受け入れる
よく聞く言葉ですが
これほどわかりやすく難しい言葉はないなと思います。
あるがままに受け入れることができたら
人はどんなに穏やかに幸せか
そして、そうか
あるがままに受け入れればいいのか・・・と思うけれども
やはり、そうはいかないのが人間ですよね
私もよくあります。
そんな自分をやっぱりできないから
ダメだと責めてしまうことも
過去にはありました。
ただ、最近、
じゃあ、人はあるがままに受け入れることはできないのかということに対して
私なりの答えを見出すことができました。
それは、自分ではどうしようもできないことに執着している場合は
いったん、そのことを自覚するということです。
「自分ではどうしようもないこと」とは
・明日の天気を晴れから雨に変えるとか
・20年前の過去に戻るとか
・10秒以内に地球の裏側に行くとか
まぁ、このへんだとわかりやすいので
自分はそんなこと考えるわけないと思うのですが
例えば、
・目の前にいる相手の気になる行動をやめさせる
・なぜこんなに自分は頑張っているのに認めてくれないのか
・みんなで楽しそうにしているけど、自分だけ輪の中に入れてくれないから拗ねてみる
・車の運転していて割り込んでくる車の割り込みを止める
だとどうでしょうか。
日常、ふつうにあることかなと思うのですが、
・目の前にいる相手の気になる行動をやめさせる。
→注意してやめさせることはできるかもしれませんが、
基本的に相手がしている行動なので変えることはできません。
・なぜこんなに自分は頑張っているのに認めてくれないのか
→認めるという行為は相手がすることなので
その行為を自分でコントロールすることはできないので、
どうしようもありません。
・みんなで楽しそうにしているけど、自分だけ輪の中に入れてくれないから拗ねてみる
→拗ねることで、周りが気を使って入れてくれるかもしれませんが
あなたを輪に入れるかどうかは、相手が決めることで自分でコントロールできることでは
ありません。
ここでしいて言うなら、自分から輪に入るという選択は自分でできます。
・車の運転していて割り込んでくる車の割り込みを止める
→クラクションを鳴らせば止めることができるかもしれませんが
割り込むという行為は相手がすることなので
自分のコントロール下にありません。
そもそも相手は割り込んだという自覚すらないかもしれません。
相手の言動をジャッジして
あれはよくない、これはしないほうがいい、
なぜしてくれないのか?
なぜそんなことするの?と執着してしまうことは
主体的な生き方ではなく、
自分ではどうにもならないことをなんとかしようとしています。
そして、当然ながらどうにもならない。
自分のコントロール下にないものは変えられないものなので
執着しないこと(執着しても意味がない、無駄な力や時間を使うだけ)
どうしても執着してしまうとしても
それは執着しても、天気を変えようとしていることと
同じことをしているので無駄だから、
そんなことをしようとしている自分がいることを
客観的に自覚することが大事。
どうにもならないことは
自分の力では変えられないんだから
変えようとせず
自分の力で変えることができることに集中すること
それが、あるがままに受け入れるということなんだろうなと思います。
あるがままに受け入れる
