ばいきんまんの「生きがい」は本当に彼の生きがいなのか?
アンパンマンをやっつけることを生きがいとするばいきんまん。
しかし、それは彼の「嘘の自分」を演じる上での目標(目標と言っているけど、嘘の自分を演じるために仕方がなく設定している目標。本当の目標ではない)に過ぎない可能性があります。
本当は誰かと仲良くしたい、受け入れられたい、お腹を満たしたいという
根源的な欲求を隠すための、いわば鎧や仮面のようなものなのかもしれません。
あるお話で、ばいきんまんがひなまつりパーティーに現れて、
会場にあるごちそうは全部俺様のものだと颯爽にやってきて、
しかもそのときに乗っているメカはひな祭り仕様。
こんなの実際つくったらいくらするんだ?というレベルです。
わずか、1~2万円くらいのごちそうを得るために、
数千万のメカをつくる。
会社でいうなら売り上げと経費のバランスが悪すぎます。
そして、結果的にアンパンマンに倒される。
これらは合理的な判断とは言えません。
素直に「ひなあられを食べさせて」と言うだけで終わるものを、
「嘘の自分」が暴走した結果、遠回りして余計なことをやって
時間はないわ、お金はないわ、
周りの人たちにはばいきんまん=悪い奴と思われ、人間関係は悪化します。
しまいには、一度そういう印象がつくと、
周りの目があるので、自分のキャラクターを変更するにも勇気がいるので、
より一層いやなことをしだします。もう悪循環です。
本当の自分と嘘の自分、どう見分けるのか?
これは非常に難しい問いかけです。
なぜなら、「嘘の自分」もまた、生きていく中で身につけてきた、
ある意味で「自分」の一部だからです。
こういう言い方をすると、
そんな自分も否定してはいけない、受け入れなければならないか、
なんでもかんでも受け入れなければならないということではなく、
そういう「嘘の自分」というのは「本当の自分」を表現できない影として現れることがあります。
光と影なわけですから、影があるということはそこには光がある。
つまり、本当の自分がいるわけです。
影から光を見出すことができれば、
影があっても決して悪いことではありませんし、
光を見出すことで光と影はセットなので影は意味を持たなくなります。
これが影しか見えていないから
ネガティブにしかとらえられないということになってしまします。
「イライラする言葉を自覚する」
ばいきんまんは「みんなで仲良く」「みんのために」という言葉に過剰に反応します。
これを影とするわけです。
その奥(光)には「本当はみんなと仲良くしたいのにできない」という
抑圧された感情(本当の自分)が隠されている可能性があります。
抑圧、それは自分が自分の一部をよしとしなかったことです、
それはダメとダメ出しをしたこと、そんな自分はダメだとNOを出したこと、
これがいわゆる許せない自分、自分を受け入れることができない状態です。
人間はなぜ嘘の自分を演じてしまうのか?
本当の自分にダメ出ししてしまうのか。
ここが今回の大きなテーマです。
それは、嘘の自分を演じるメリットがあったからです。
または、本当の自分で生きることが自分にとって
デメリットがあったからだと思います。
小さいころに自分のやりたいようにしていたら、
毎日お母さんに怒られた。
そのうちにお母さんに怒られないように
自分の本当の気持ちを隠すようになり、
お母さんに褒められるために、
お母さんの理想の子ども像を演じるようになった。
勉強を頑張ったり、お外でたくさん遊んだり。
これらはすべて自己防衛なんですね。
傷つくことへの恐れから、本心を隠し、強がったり、冷淡な態度をとったりすることがあります。
ばいきんまんが最初から悪いやつを演じるのは、
アンパンマンのように受け入れられないことへの恐れからかもしれません。
CMやオープニングのばいきんまんは「嘘の自分」なのか?
CMやオープニングでしょくぱんまんやカレーパンマンと
笑顔で手をつないでいるばいきんまんは、
「本当の自分」の表れなのかもしれません。
アンパンマンの世界の住人として、
本当は仲良くしたいという気持ちがあるけれど、
本編ではそれが許されない、あるいは自分自身がそれを許せない。
その葛藤が、あの二面性として表現されている。
やなせたかしさんの深遠なメッセージ
やなせたかしさんは、子供向けの単純な勧善懲悪物語の中に、
人間の複雑な内面や社会の矛盾を深く描き込んでいたのだと思います。
ばいきんまんというキャラクターを通して、
私たちは誰もが抱える「本当の自分」と「嘘の自分」の葛藤、
自分の心の中にもふつうにある感情に共感し、考えさせられるのではないでしょうか。
やなせたかしさんの作品が世代を超えて愛されるのは、
そうした普遍的なテーマが込められているからなのでしょうね。


