「頑張っているね」と言ってほしい、「大丈夫?」って声を掛けてほしい
「心配されたいけど、心配されたくない。
かまってほしいけど、かまってほしくない。」
そんな矛盾した気持ちを抱えて、
毎日がなんだか苦しいと感じていませんか?
「働きたくないけど、働かなきゃ…」
そう思いながら、真面目に取り組んでしまう。
でも、頑張っている自分がなんだか許せない。
そして、その矛先がいつの間にか他人に向いてしまう。
甘えたいのに、素直に甘えられない。
甘えている人を見ると、なぜかイライラしてしまう。
※この場合、なぜイライラするかもわからないんですよね・・・
「本当はこうしたいのに、できない。」
そんな自分を責めて、楽しそうにしている人を見ると、またイライラしてしまう。
自分の心の中にあるたくさんの「こうしたい」という気持ちと、(甘えたい)
「こうすべき」という禁止令。(甘えてはいけない)
その間で揺れ動き、自分が何を感じているのかさえ、分からなくなってしまう。
相手のちょっとした言動に過剰に反応して、
「私がこんなに苦しいのは、あなたがあんなことを言ったからだ!」
と、まるで相手が悪いかのように責めてしまう。
本当は、誰かに「大丈夫?」って声をかけてほしいだけなのに。
自分で自分を満たせないから、他人を頼ってしまう。
でも、そのことにすら気づけていない。
心配してくれない相手に、気づいてほしくて、わざと大げさに振る舞ってしまう。
そして、やっと相手が心配して声をかけてくれたら、
心の中で「やっと気づいたか」とイライラしてしまう。
でも、いざ心配されると、今度は自分がみじめに感じる。
「心配される私って、力がない人間なんだ…」と、自分で自分の価値を下げてしまう。
自分で相手に心配させたのに、
相手が自分の思い通りに声をかけてこなかったり、
自分がみじめに感じはじめると、
「あなたが心配してきたせいで、私はかえって悲しくなった!」
なんて、わけのわからないことを言ってしまう。
まるで、迷路の中で出口を探して、
ぐるぐると同じ場所を彷徨っているみたい。
「人生を本気で変えたいんだ!」
周りの人から見たら、ただの「面倒くさい人」。
関わりたくありません。
正直に言ってくれる人の方が、まだ可愛げがあるかもしれません。
かつての私です。
でも、当時の私は、自分がそんな状態だということすら、
全く気づけていませんでした。
「人生を変えたい!」
そう叫びながらも、変われない。
まるで、被害者を演じているみたいに。
※でも、そんな自覚もなかったな・・・、だから、辛い。
まさに「地獄絵図」
でも、渦中にいる本人は、なかなか気づけない。
一生懸命もがいているつもりなのに、なぜかうまくいかない。
それは、方向が少しズレているだけなのかもしれません。
自分の思考に気付く、自覚する
なぜ、そんなに甘えたいのか?
なぜ、誰かに心配してほしいのか?
自分で心配させたくせに、なぜ相手を突き放してしまうのか?
その心理には
いったいどんな自分がいるんでしょう。
本当の自分は
本当はどうしたいのかな?
逆に、何をしたくないのかな?
自分の思考の癖、感情の動きに、
少しでも疑問を持つことができれば、それは大きな一歩です。
なぜなら、自覚できないものは、変えることができないから。
自分の思考は、あまりにも日常に溶け込んでいて、近すぎて、
おかしいとすら思わない。
だって、いつもそうだったから、
それが当たり前になってしまっているから。
私は運よく、本当に紙一重のところで、
自分の状態に気づくことができました。
これは奇跡ですね。
だからこそ、かつての私と同じように、
生きづらさを感じているあなたに、
少しでもその苦しみから抜け出すきっかけを届けたい。
このブログが、あなたにとって、そんな一筋の光になれたら嬉しいです。