「自分を受け入れる」ことの大切さはよく言われていますが
自分を受け入れるというのは、いったいどういうことなんでしょう。
「本当の自分」と「嘘の自分」
私たちが往々にして
「嘘の自分」を演じています。
嘘の自分とは
社会に合わせて、人から良く見られるように、
あるいは自分が理想とする姿を無理やり作り上げていたりしますよね。
当たり前ですが、
これは、「本当の自分」ではありません。
意図的に、ちがう自分をつくっているだけなので
当たり前ですよね。
二重人格みたいなものですよね。
嘘の自分は
本当の自分を否定するものでもあるんです。
だって、そのままの本当の自分ではダメだと思っているから
嘘の自分を演じますよね。
そして、このままだとダメだと言っているのは
ほかでもない自分なわけです。
自分が自分にダメ出ししている構造なわけです。
ちなみに
「本当の自分」という言葉は、
私たちの中に潜む純粋な欲求や願望を指します。
それは、心から
「こんな仕事をしたい」
「こんなことをしたい」
「こんな自分でいたい」
「こういうことを言える自分でいたい」と
望む、偽りのない気持ちのことです。
理想と現実のギャップ、そして「偽りの自分」
しかし、多くの人が
この「本当の自分」と、現実の「嘘の自分」との間に
ギャップを感じています。それらの理由として以下の3点があげられます。
- 他者の目や評価を気にしてしまう:「こんなことを言ったらどう思われるだろう?」「こう行動したら嫌われるかな?」といった不安から、自分の本心を抑え込んでしまうことがあります。人間関係が原因で、やりたいことができないと「他責」にしてしまうケースもここに当たります。
- 「できない理由」を探してしまう:「お金がないから」「時間がないから」といった理由をつけて、理想の自分になるための行動を先延ばしにしてしまうこともあります。
- 「理想」を演じすぎてしまう:自分が「こうあるべきだ」と考える理想像を完璧に演じようとするあまり、それが「本当の自分」ではないのに、あたかもそうであるかのように振る舞ってしまうこともあります。この場合、「理想」と「本当の自分」はイコールではないことに気づくでしょう。
このように、私たちは様々な理由から、
自分の欲求に正直になれず、「嘘の自分」として生きていると感じることがあります。
本当の自分で生きるために、受け入れなければならない「絶望」「残酷さ」「自分の弱さ」
そして、嘘の自分に気付き、
本当の自分とのギャップを埋めて、
自分らしく生きようとしたとき、
それは必ずしも輝かしいものではなく
というか、むしろ、自分の「弱さ」を知ることになります。
それは、自分の内面と向き合えば向き合うほど、
私たちは
「人のせいにしている自分」
「自己防衛に走る自分」
「できない理由を探してただ逃げているだけの自分」
「良い人でいたいだけのただのエゴの塊」
としての自分を目の当たりにすることになります。
そういう自分の弱さ、
動きようもない事実だということを認めなければならない(受け入れなければならないからです)
そして最終的に、
「これだけ苦しんできた人生の原因を作ってきたのは、結局すべて自分の弱さだったのか」という
答えにたどり着きます。
自分の人生を不幸にしていたのが、他でもない自分自身だったという、
大きな「絶望」「残酷な事実」と向き合うことでもあります。
自分の弱さを受け入れることの重要性
「親のせいだ」
「いじめられたせいだ」
「職場の人間関係が悪かった」と、
他者や環境のせいにして逃げていれば、
この絶望とは向き合わずに済みました。
しかし、本当に自分の人生を変えたいと願うのであれば、
この避けては通れません。
なぜなら、自分の弱さを受け入れることなくして、
ここをスタート地点とすることなくしては、
自分の人生を変えることはできないからです。
もっと言うなら
人のせいにしている限り
自分の人生の解決策は自分にはないということです。
すべて自分が原因だったんだということを基本にすることで
では、これからどうする?というスタートラインに立つことができるからです
人間は自分のことしかコントロールできません。
相手の気持ちや、相手が何を言うか、何をするかはコントロールできません。
努力をして結果が出やすくすることはできても、結果は外部要因に左右されるので自分ではコントロールできません。
つまり、自分の人生の問題の原因をすべて自分にしない限り
相手や外部要因に原因を求めてしまうと
たちまちそれは自分のコントロール下にならなくなるので
自分自身が解決する力を失うわけです。
どんなときでも、
自分に原因があるからこそ
自分のことであるからこそ、
自分の問題は自分で解決できるようになるのです。
この深い気づきこそが、
真の自己変革への第一歩となるでしょう。
排除ではなく、統合へ
それでも、目を背けずに
その絶望、残酷の事実を受け入れ、統合していくことこそが、
私たちが人間としてさらに深く成長するための鍵だと私は思います。
自分の嫌な部分を知ることは、決して恥ずかしいことではありません。
むしろ、それを受け入れることで(正確には向き合った先には、疑いの様のないものになるので受け入れる以外方法がない感覚)、私たちは自分自身の引き出しを増やし、人間としての深みを増していくことができるのです。
なぜなら、自分の醜い部分を知っているからこそ、
他者の弱さや過ちにも共感できるようになるから。
相手がなぜそんな行動をとってしまったのか、
その心の奥にある複雑な感情を想像することができるようになるからです。
深淵を知るからこそ、愛と感謝が生まれる
自分が完璧ではないと知っているからこそ、
誰かがしてくれた小さな優しさの意味が、
心に深く染み渡ります。
相手の不完全さも理解できるからこそ、
一方的な批判ではなく、寄り添う気持ちが生まれるのです。
「本当の自分」「嘘の自分」
光と影、その両方を抱きしめた時、
私たちは初めて、他者に対しても深い愛と感謝の念を抱くことができるのではないでしょうか。
目を背けたくなる自分自身の一部も、否定せずに受け入れる。
それは、自分という人間をより深く理解し、
他者との繋がりをより豊かなものにするための、大切なプロセスなのです。