今年の物価高騰、
特に私たちの食卓に欠かせないお米の値段上昇は、
多くの方に衝撃を与えたのではないでしょうか。
「コメが高い、買えない」そんな声も聞こえてきます。
長年、安定した価格だったお米の変動は、
私たちにこれまで当たり前だと思っていたことの根幹を
揺さぶる出来事なのかもしれません。
現代社会は「与えられた恩恵」の上に
私たちの現代社会は、
無数の恩恵の上に成り立っています。
- 情報へのアクセス: 数年前には考えられなかったでしょう。誰もが手のひらで世界中の情報にアクセスし、コミュニケーションを取ることができる。スマートフォンはその最たる例です。
- 快適な生活: スイッチ一つで明るくなる照明、蛇口をひねれば出てくる清潔な水、ボタンを押すだけで温まるお風呂。これらは先人たちの知恵と努力の結晶です。
- 物流と供給: 世界中の商品が、驚くほどのスピードと効率で私たちの手元に届けられます。スーパーに行けば、季節を問わず様々な食材が手に入るのは当たり前ではありません。
- 安全と平和: 第二次世界大戦以降、大きな戦禍に見舞われることなく、比較的安全に平和に暮らすことができている日本。これは世界的に見ても稀有なことです。
しかし、人間とは慣れる生き物です。
毎日「ある」ものは、いつしか「当たり前」になり、
感謝の念は薄れてしまいがちです。
親の愛情、会社に来てくれる従業員の存在(従業員から見れば毎月給与が支払われること)も、決して当たり前のことではありません。
「他人事」から「自分事」へ
私たちは、ニュースでどこかの会社が倒産したとか、
インフラに障害が起きたという話を聞いても、
それが直接自分の身に降りかからなければ、
どこか他人事として捉えてしまう傾向があります。
「大変だな」とは思いつつも、
Wi-Fiが使えなくなって初めてその不便さを痛感するように、
私たちは自分の生活に直接的な影響がないと、
物事の本質に深く意識を向けることが難しいのかもしれません。
今回の米価高騰は、まさにそんな私たちの意識に一石を投じる出来事だと感じています。
日本全国で起こり、食卓に直結するお米の値上がりは、
「どこかの誰かの話」ではなく、
「私たちの生活」そのものに影響を与えるからです。
知ることで生まれる感謝
池上彰さんのニュース番組で、
お米作りに携わる農家の方々の現状が紹介されていました。
驚くことに、その時給は100円にも満たない場合があり、
平均寿命は70歳を超えるとのこと。
機械化が進んでいるとはいえ、
朝から晩まで、私たちの食卓を支えるために
懸命にお米を管理してくださっている方々がいるのです。
「やりたいか」と問われたら、
正直、多くの人が躊躇するかもしれません。
それでも、そうした方々のおかげで、
私たちはスーパーでお米を手に取り、
毎日美味しくいただくことができる。
コメの高騰は、
私たちの今の生活は決して当たり前ではなく
知らない誰かの苦労によってもたらされている恩恵であること
決して当たり前なのではなく、あることが、ありがたいことなんだということに
気付かせてくれます。
不便さの中に見出す、恵みの光
世界を見渡せば、紛争が絶えず、
食料が十分に手に入らない地域も多く存在します。
そう考えると、
私たちが普段何不自由なく暮らせていること自体が、
奇跡に近いのかもしれません。
日々の生活で感じる小さな不便さや苦しみも、
捉え方を変えれば、私たちがすでにどれほど恵まれているかに
気づくための機会なのかもしれません。
人間関係で嫌なことやイライラすることがあっても、
もし完全に一人で生きていたらどうでしょうか?
仕事でやりたくないと感じることがあっても、
もし仕事がなければ収入の不安に押しつぶされるかもしれません。
「当たり前」が当たり前でなくなった時、
私たちは初めて、その尊さ、そしてそれを支えてくれる人々の存在に深く感謝することができるのではないでしょうか。(でも、そのときにもし気付いても、どうして気付けなかったんだろうと、泣いてしまいますよね。)
米価高騰は、私たちに立ち止まり、
「ある」ことの奇跡を再認識させてくれる、
貴重な機会を与えてくれているのかもしれません。


