ばいきんまんの生きる目的から、自分の生きる目的のヒントを見出す。

カウンセリング「大人の学校」

アンパンマンのマーチ
作詞:やなせたかし
作曲:三木たかし
歌:ドリーミング

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために 生まれて なにをして 生きるのか
こたえられない なんて そんなのは いやだ!

今を生きる ことで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ どこまでも

そうだ うれしいんだ 生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

ああ アンパンマンやさしい 君はいけ!
みんなの夢 まもるため

ばいきんまんの「生きる目的」について、
公式設定では「アンパンマンを倒すこと」が
彼の唯一の目的とされていますが、

物語の中で描かれるばいきんまんの行動や性格を見ると、
その目的が彼のすべてではないように感じられますよね。


ばいきんまんの行動と目的のズレ

ばいきんまんが本当にアンパンマンを倒すことだけが目的であれば、
もっと冷酷で非情な手段を選び、
徹底的にアンパンマンを追い詰めるはずです。

しかし、実際には以下のような彼の行動が、
その目的との間に矛盾を生じさせています。

  • 詰めが甘い攻撃: 勝利寸前で油断したり、くだらない理由で攻撃をやめたりすることが多々あります。これは本当にアンパンマンを倒したいと願っている者の行動とは考えにくいでしょう。
  • ドキンちゃんやコキンちゃんへの優しさ: 彼女たちの願いを叶えるために、アンパンマンとの戦いとは別に危険を冒したりすることもあります。これは彼にとって、アンパンマンを倒すこと以外にも生きる目的があることを示唆しています。
  • 発明の才能と好奇心: アンパンマンを倒すためだけでなく、純粋に新しいものを作り出すことに喜びを感じている描写も見られます。例えば、ひな祭りのご馳走をいただくために、パーティーを荒らしに来た時には、わざわざひし餅の形をしたロボットに乗ってきています。もし、ただご馳走を食べたいだけなら、いつものUFOに乗ってやってくればいいと思います。
  • 一般人への意外な優しさ: ごく稀に、困っている人々を助けたり、感謝されたりする場面もあります。これは「悪」という彼本来の役割とは異なる一面です。

光と影、そして新たな可能性

アンパンマンが「光」であり、
ばいきんまんが「影」であるという解釈は、
物語の根源的なテーマとして非常にしっくりきます。

両者が存在することで、
それぞれの存在意義がより明確になるという考え方です。

これらははっきりと分けて描写することで
物事には陰と陽があり、また、陰が悪いということでもなく、陽がいいということでもなく
多角的な見方があり、その数ある考え方の中から
どれを選択して生きてるかだけだということがわかるかと思います。

陰が必ずしもすべて悪いわけではないというのは
必ずしも悪ではない、ばいきんまんのあいまいさからも説明されています。

彼は生まれた瞬間から目的を与えられた存在ではありますが、
物語が進むにつれて、彼自身の内面で別の「生きる目的」が
芽生えている可能性も十分に考えられます。

  • アンパンマンとの関係性の維持: アンパンマンを倒すことが、彼自身の存在意義と密接に結びついているため、本当に倒してしまっては困るのかもしれません。倒すことではなく、常にアンパンマンと対峙し続けることが彼の「生きる目的」になっている可能性もあります。
  • 自由な創造と自己表現: 発明や悪巧みを通じて、彼は自分自身の才能や個性を表現しています。もしかしたら、アンパンマンとの戦いは、彼が自己を表現する手段の一つに過ぎず、本質的な喜びは別のところにあるのかもしれません。
  • 愛と友情の探求: ドキンちゃんやコキンちゃんとの関係性、そして(ごく稀にですが)アンパンマンや他のキャラクターとの間にも見え隠れする交流は、彼が純粋な悪ではないことを示しています。彼はアンパンマンを倒すこと以上に、人との関わりや、認められることに心のどこかで喜びを感じているのかもしれません。

まとめ

ばいきんまんの生きる目的は、単にアンパンマンを倒すことだけでなく、
彼自身の多様な感情や行動から生まれる、より複雑なものであると考える方が自然かもしれませんね。

それは彼自身がまだ明確に認識していない、
新たな「生きる目的」へと繋がっていく可能性を秘めているのではないでしょうか。

私たちもこれが自分の生きる目的だと思いこんでいるだけで
実は本当の生きる目的は別のところにあったり
その目的は自分の一部にすぎない
そういう0か100では説明できない
人間のあいまいさこそが、実は魅力だったりするのかなと思ったりします。

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