「今の自分の世界は、自分が選んだ結果だった」。
そう気づいたとき、あなたは初めて主体性を手に入れます。
どんなに苦しくても
これは今がドン底であったとしても、
それは誰かのせいでもなく、環境でも、社会でもない。
すべて自分という前提を持つことがとても大切です。
誰もが陥る「無自覚な他責」の罠
人は自分のことを客観視するのが難しい生き物です。
周りから見れば「あの人、他責だな」と感じる場面でも、
当の本人は全くそう思っていません。
「自分はまともだ、周りがわかっていないだけだ」とさえ
思っているかもしれません。
日々の生活の中で感じる生きづらさや人間関係の悩み、
仕事での問題…これらは往々にして、他人のせいにされがちです。
「あいつがいたから」「この上司の言い方が怖いから」と
いった分かりやすい例だけでなく、
私たちは無自覚のうちに、もっと巧妙な形で他責にしています。
例えば、「今日はあの人に話しかけにくいな…」と思って
話しかけるのをやめた経験はありませんか?
これは、よくわからないけど話しかけにくいな・・・ではなく
ただ単にあなたが、話すことを逃げているだけかもしれません。
そのねっこには、私の場合「他人は敵だ」「自分を傷つける存在だ」という思い込みが
ありました。※無自覚でした。
私たちは、自分を守るために、
無意識のうちに「話しかけなくてもいい理由」を探し、
自分を正当化しています。
まるで朝から晩まで、気づかずに無数の言い訳をして、
行動しない理由を探して逃げ回っているかのようです。
人間の行動の95%は無自覚(潜在意識)だと言われるように、
私たちはほとんどの時間を、この「無自覚な自己防衛」に費やしているのかもしれません。
真の自由への扉:自分が人生の創造主だと知る痛みと希望
でも、私たちが本当にコントロールできるのは自分自身だけです。
他人をコントロールすることはできません。
問題の責任を他人に押し付けた瞬間、
その問題は自分で解決できないものになります。
なぜなら、解決の糸口が、自分がコントロールできない
「他人」の行動に委ねられてしまうからです。
私たちは無自覚のうちに、自分の人生の主導権を他人に委ねてしまっているのです。
しかし、「被害者」という立場から解放され、
「問題は実は自分がつくっていたもので、
自分が勝手にハマって苦しんでいたんだ」という、
この「くだらない残酷さ」に気づき、
それを受け入れた時、あなたは確信できるでしょう。
「自分の人生を変える力は、自分の中にある」と。
この真実こそが、あなたに自然と勇気を与えてくれます。
これは、内面の変革が、外の世界の見え方を変えていくプロセスそのものです。
この気づきは、もしかしたら痛みを伴うかもしれません。
しかし、その痛みの先には、他者に依存することなく、
自分の足で人生を歩くという「真の自由」**が待っています。
「正しく見る」ことの本当の意味
「正しく見ること」は、単に事実を知るだけではありません。
それは、自分自身の内側にある「都合のいい解釈」や「守ってきた言い訳」と徹底的に向き合い、
それらを潔く手放すことです。
そして、最も重要なのは、「自分が人生の創造主である」という、
厳しくも力強い現実を受け入れること。
自分の人生の責任はすべて自分が背負うと決めた時、
初めて問題は自分で解決できるものへと変わり、圧倒的な可能性と希望が切り開かれます。
「正しく見ること」は、あなたの人生における、真の変化の始まりなのです。
自分の人生の主導権を、今こそ自分の手に取り戻しませんか