自分の弱さを受け入れるとは

カウンセリング「大人の学校」

この言葉よく聞くと思うのですが
「自分の弱さを受け入れる」っていったいどういうこと?と思いませんか

だって、よりいい自分になった方がいいに決まっているじゃないですか(笑)
だから、弱さを受け入れるはできないというより、したくない。

でも、人間は完璧ではないし
完璧にはなれない。
それは事実だと思います。

それらを踏まえて
具体例をあげて書いてみたいと思います。

人間関係での「弱さを受け入れる」とは

人間関係において、
私たちは誰しも
「相手のために何かしてあげたい」
「もっと良い方向に進んでほしい」と願うことがあります。

アドバイスをしたくなったり、
親身になって話を聞いたり。

その純粋な想いが、時には自己犠牲につながったり、
相手の領域に踏み込みすぎたりする原因になることも。

そして、期待したような変化が見られない時、
私たちは自分の無力さを痛感し、「自分は大した人間じゃない」と責めてしまいます。

そんな堂々巡りの中で、ふと立ち止まって考えてしまうのです。
「一体、何が正しいのだろう?」と。
※相手を幸せにしてあげられない自分の「弱さ」

相手を想うが故の「弱さ」

ふと、国民的ヒーロー、アンパンマンの姿が重なります。
おにぎりが食べたいばいきんまんは、
おむすびまんと一緒にいた梅干しばあや(もし名前が違っていたらすみません)を人質に取り、
「これでもいいのか!」とアンパンマンを追い詰めます。

みんなの平和を守る力を持つアンパンマンも、
守るべき存在ができてしまった瞬間、「弱さ」を抱え、
ばいきんまんの攻撃に抵抗できなくなってしまうのです。

でも、梅干しばあやを救いたいという強い想い、
みんなの夢を守りたいというアンパンマンの使命が、
彼を攻撃に耐えさせる。

それは、一見すると「弱さ」に見えるけれど、
実は、誰かを守りたいという純粋な心がもたらす、
真の優しさ、そして揺るぎない強さなのだと気づかされます。

「弱さ」を受け入れることの意味

私たちが人間関係で感じる無力感や、
相手に踏み込みすぎてしまう未熟さも、※弱さ
根底には「相手を想う気持ち」があるのではないでしょうか。

もちろん、自分自身の不安や承認欲求といった「弱さ」も
そこには存在するかもしれません。

しかし、大切なのは、そんな相手を想うあまり出てくる「弱さ」を認め、受け入れることなのだと思います。

完璧な人間などいません。
常に適切な距離感で関われるわけでもありません。

時には入りすぎて後悔したり、
逆に離しすぎて、相手から口だけなんでしょと言われたり、
どうすればいいかわからずに立ち尽くしたりすることもあるでしょう。

でも、その「弱さ」を否定するのではなく、
「そんな時もあるよね」「人間だもの」と受け入れることは
とても大切な事なんです。

なぜ、「弱さ」を受け入れることが大切なのか

アンパンマンが自分の身を挺して大切なものを守ろうとする姿は、
私たちに教えてくれます。

本当に強い人間とは、決して弱さを持たない人ではなく、
自分の弱さを受け入れた上で、
それでも大切なものを守り抜こうとする人なのだと。

人間関係における私たちの「弱さ」もまた、同じです。
相手を想うが故に悩んだり、傷ついたりする経験をします。
そして、自分の弱さに気付きます。
無力さに気付きます。

でも、
そんな自分にダメ出しするのではなく
「よくやっているよ」「うんうんそんなこともあるよね」と共感できるからこぞ
弱さを受け入れることができるからこそ
本当の目的、相手の幸せを考えることができるのです。


もしアンパンマンが、顔が汚れたら力が出ないという弱みを受け入れることができなければ
どうなるでしょう?

きっと、顔が汚れるから外に出たくないとか
ばいきんまんがやってきたら逃げようとなると思いませんか
でも、そこにはアンパンマンの生きる目的があるのです。

みんなの夢を守ると言う生きる目的があるからこそ
アンパンマンは顔が濡れたら力ができないというリスクを背負っても
そんな弱さを受け入れて戦うことができるのだと思います。

私たちも自分の弱さを受け入れたときに
それでもなおかつ、自分の生きる目的のために、だれかの幸せのために
闘う、挑戦することができるのだと思います。


目の前の相手を幸せにしてあげられない無力感、
そこまでの力がないという弱さも
それを受け入れた上で
自分にできることをやる。

他人に批判されても
嫌われても、意見が衝突することがあってもやる
大切なものを守るために。

タイトルとURLをコピーしました