アドラー心理学に基づいて考える。なぜ「愛」が必要なのか
そして「どのようにすれば幸福になれるのか」について、
私なりの見解をまとめました。
私たちは皆、「愛が必要だ」と漠然と感じていますが、
その理由を明確に説明できる人は少ないかもしれません。
実は、私たち自身が自立するために、
そして真に幸福になるために、愛は不可欠なのです。
「私」から「私たち」へ:自立の真の意味
ここで言う「自立」とは、単に経済的に独立することだけを指しません。
それは、人生の主語を「私」から「私たち」へと切り替えることです。
赤ちゃんは、周りの大人がこぞってちやほやし、
自分中心で世界が回っていました。
周囲の誰もが自分を気にかけ、何もせずとも愛される存在です。
しかし、大人になるとそうはいきません。
いつまでも自分中心で世界が回っていると思ってしまうと、
周りの人と上手くいかなくなり、
結果として、幸せになることは非常に難しくなります。
だからこそ、人は人間関係の間で悩むわけです。
自分の気持ちがあり
しかし、他者の気持ちもある。
ここが相いれないことがある。
どうしたらいいのか。
真の自立とは、「私がどうしたら幸せになれるか」だけでなく、
「私」を含めた「私たち」が幸せになるために
私が何ができるかに焦点を向けることです。
そして、その「私たち」のために、
自分が何ができるか、どう貢献できるかを考える。
それが自立であり、
その貢献感(その大きさ)こそが私たちに幸福を与えてくれるのです。
愛こそが自立の原動力
では、なぜ自立するために愛が必要なのでしょうか?
それは、誰かを愛することによって、
主語が「私」から「私たち」へと自然に切り替わるからです。
※ここでの愛は単に彼氏彼女の恋人関係や、家族というものに限定されない
会社、学校での人間関係など、友人・知人すべての人間関係を含みます。
私がどうすれば満たされるか、ではなく、
愛する相手を含めた「私たち」の幸せのために貢献しようとすること。
これこそが、私たちが唯一、真の幸福を感じられる道です。
なぜなら、私たち人間は、一人だけでは決して幸せになれないからです。
自分だけが幸せになろうとすると、
それはただの「かまってちゃん」になってしまい、孤立へと繋がります。
「別に一人でもいいじゃないか。山にこもっている人たちは幸せではないのか?」という疑問もあるかもしれません。
アドラー心理学は、決して「一人で過ごすことが悪い」とか
「誰にも貢献していない人は不幸だ」と言っているのではありません。
そうではなく、「幸福感を感じにくい」と表現します。
なぜなら、人間は生まれつき「所属欲求」を持っており、
何らかの共同体に属したいと願う存在だからです。
そして、その所属の中で他者に貢献することで、
最も深く、持続的な幸福を感じるようにできているのだといいます。
もちろん、自分を満たすだけでは幸せになれないわけではありません。
美味しいものを食べたり、好きなものを買ったりすれば、
一時的な喜びや満足感は得られます。
しかし、それは自分自身だけを満たすものであり、
その影響は自分にしか及びません。
そのため、得られる幸福の大きさは限定的だと言えるでしょう。
社会の中で多くの人に貢献できることは、
多くの人の幸せに影響を及ぼし、
その結果、「私は貢献できた」という実感を得て、
それが自分自身を満たし、幸せに繋がるのです。
傷つくことを恐れる「愛の拒否」
私たちはしばしば、自分から愛することを恐れています。
「どうせあの人と結ばれるわけなんてない」
「惨めな思いをしたくない」といった理由で、
自分から愛することにブレーキをかけてしまうのです。
「あの人がお前のことかっこいいって言ってたよ」と言われると
急にその子のことが気になる、といった経験はありませんか?
これは、「自分は傷つきたくない」という気持ちが根底にあるからです。
自分が傷つかない保証(相手が自分を愛してくれているという確信)があるから、
初めて相手に興味を持つ。
また、「モテたい」という感情も、
自分から愛する怖さを回避し、
自分が傷つかないように、
そして自分が幸せになるように、と
「私」が主語のままでいようとする状態の表れです。
「私たち」のために、愛を実践する
しかし、真の幸福は、相手がどう思っていようと、
まず相手のことを愛することから始まります。
そして、その愛を基盤に、
私や相手のためだけでなく、
「私たち」が幸せになるためにどう貢献できるかを考えるのです。
そうすることで、私たちは自分の価値を実感し、
真の幸福を感じることができます。
自分が幸せになるために、
ただ愛されることばかり考えていてはいけません。
人生の主語を「私」から「私たち」に切り替え、
そこに貢献して幸せを感じるためには、
自分から愛することが何よりも重要なのです。
相手の感情はコントロールできない
「それは分かった。
でも、自分が愛する相手が自分のことを愛してくれなかったらどうするんだ?」
この問いに対する答えは、
アドラー心理学の「課題の分離」にあります。
相手が私たちを愛してくれるかどうか、
相手が「私たちを幸せにする」という選択をするかどうかは、
相手の問題であり、私たちにはコントロールできません。
相手の感情は、私たちがどうこうできるものではないのです。
自分は自分のできることしかできません。
自分のできることをやって貢献した。
でも、結果が出ないことがあります。
それは自分のできることをやったとしても、
結果は外的な要因でコントロールできるものではないからです。
それは仕方がない、執着しても仕方がないのです。
ただ、そのうまくいかなかったことを活かし、
どうしたら結果が出るか、自分のできることを、
つまり自分のコントロールできることをやっていく。
だからこそ、私たちは、コントロールできない相手の感情を考えることに
エネルギーを使うのではなく、
自分自身が「私」から「私たち」に主語を切り替え、
愛を実践し、貢献していくことに集中するべきなのです。
それが、私たちが真に自立し、
幸福な人生を築く唯一の道だからです。
自分を満たすこと自体は悪いことではありませんが、
それは自己肯定感を育むための「入口」に過ぎません。
真に心の底から「自分は価値ある存在だ」と感じるためには、
その満足が自分自身だけでなく、他者を含めた「私たち」に役立っているという感覚が大切です。
それが、一時的な喜びを超えた、持続的で深い自己肯定感へと繋がっていきます。


