相手のことを思って伝えたとしても
「もし相手に受け入れてもらえなかったらどうしよう…、
理解してもらえないかもしれない。
そのくらいだったら、
はっきり言って、面倒くさいし
言わないでもいいか・・・とか
誰かほかの人が言ってくれるだろうと思う。
私もよくあるんで、わかります(笑)
話始める方は勇気がいるし、
話した後にはどっと疲れてしまう。
言ったことがきっかけで、
かえって関係がこじれたり、
勘違いされて、ほかのひとに間違って伝わってたり
うまくいかないことだってありますよね。
社長という立場であっても、
「失敗した」と思われるのは嫌だなという気持ちがないわけではありません。
時間も取られるし、
失敗した時のリカバリーにはさらに時間がかかり、
自分を責めてしまうことだってあります。
最近はありませんが
「もっと良い言い方があったんじゃないか…」と思ったときもありました。
今は、そのときのベストは尽くしたと思うので
そう感じることはなくなりましたが
そういう意味で自分だけでリカバリーできないケースもあり
そして、一人ではできないことも知っています。
失敗した時は、誰かに助けてもらわないといけない。
だからこそ、支え合いという言葉が心に響くのかもしれません。
※だからこそ、人間関係が大切になる。
人の幸せは、誰かと心を通わせたときに一番深く感じるのではないでしょうか。
本当の自分をさらけ出すとき、
それを受け止めてくれる人がいる。
本音を話しても
否定されないという安心感
それこそが、あなたはあなたのままでいいんだよという意味なのでしょう。
表面的で当たり障りのない会話ではなく、
その人の泥臭さ、人間としての弱さ、そ
ういった部分も理解し合える。
「休みの日にあそこに行ったよ」
「これが好きだよ」
「YouTubeが面白かったよ」
「あそこのパン屋がおいしい」
といった会話を否定するわけではないですが、
もっと奥深くにある、人としての本音。
そして「なぜそう思うのか」という共有。
これこそが、本当の信頼関係であり、寄り添うということなのではないかと感じます。
だからこそ、「逃げない勇気」が必要なのです。
本音を語ることは、リスクを伴います。
自分の評価が下がるかもしれない。
うまくいかないかもしれない。
関係が悪化するかもしれない。
逃げるのは簡単です。
やらなければいいだけだからです。
でも、逃げているうちは何も生まれない
もし失敗したら、「ごめんね」でいいんです。
誰もが手探りの中で生きているので、
完璧な答えを知っている人なんていません。
でも、逃げていては、深い関係を築くことはできませんし、
心の奥底から湧き上がるような幸せを感じることも難しいでしょう。
たくさんの人に囲まれて楽しく暮らしているのに、
一人になった途端に疲れたり、人と会うのが億劫になるのは、
もしかしたら自分を作っているからかもしれません。
仮面を被り、殻を作ってしまっている。
そして、自分ではその殻を破れないから、
誰かに気づいてほしい。
でも、子供じゃないんでなかなか気づいてくれない。
それでもアピールしたくらいにして
誰か気付いてよと、誰かにあたったり、
誰かのせいにして生きている。
そうじゃない。
自分の人生は自分で切り開く。
自分の責任のもとで歩く
だから、勇気が必要。
でも、それができないんだったら、
ちょっとずつ殻を破ろう。
一気にやると不安です。
だって、だからこそ殻をつくっているんだから
優しく時間をかけて少しずつ。
そして、気付いたらいつの間にか割れていた。
そんな優しい変化が理想なのかもしれません。
人間関係を面倒くさいと感じることが多いのは、
本音で話したいと願いながらも、話したら、嫌われる、相手が怒る、関係が悪化してそこにいにくくなる。だから、本音を言わずに隠して自分を演じているからではないでしょうか。
大前提として、じゃあ、ただ本音を言えばいいという白か黒か理論ではなく
でも、相手にも心があるから、自分と同じ人間だから
相手を思いやって伝えることは大切ですが
嫌われるかもしれない
うまくいかないかもしれないということから逃げず
リスクをとることが
最終的に自分が幸せになる方法なのかなと思っています。


