過去の私は
ずっと、自分の考えを
押し付けてきただけでした。
下手したら、なぜ答えを教えているのに
その通りにしないんだ?という感覚さえ
どこかにあったんだと思います。
もちろん、それは相手を想うからで
自らの経験から導き出した最適解を
良かれと思って伝えているのですが・・・
まぁ、私も若い時、先人たちがいろんなアドバイスを私にしてくれていたと思います。
ただそのうち覚えていることって、100のうち1もないんですよね、きっと。
結局、教えてくれているのに
「それはあなただから失敗したんじゃないの?」と思う自分があり
止められてもやってしまう。
たまーに、それでうまくいくことがあるから
やめられないのかもしれませんが
多くの場合、それらはだいたい失敗します。
自分をスーパーマンかなにかと勘違いしているのか
特別な選ばれた人間だと思っているのか
自分はそれはないと思いこんでいる。
要は、いくら先回りして
正解を教えてくれても
経験がないと、失敗がないと
受け取れないということです。
しかも、その経験は1回とか2回じゃなくて
何回も同じようなことをしても気付けない事が有ります。
傍から見ると同じような失敗ばかりして怒られているなと思うことも
本人からしたら、別々の失敗だったりするわけです。
でも、それらの失敗は決して悪いことではなく
そのあとに意味を成して来る。
だから、ある程度時間はかかる。
大事なことは
他人に言われたからやりましたではなく
自分で気づくということです。
私が好きな野球監督の1人
故野村克也氏は生前、
「教えるんじゃなくて、気づかせ屋になりなさい」という言葉をよく口にしていました。
※本とかを読んでいましたが、当時は意味がわかりませんでした。
これは、単なる指導方法論に留まらず、
人が真に成長するためには何が必要かという、
彼の深い人間理解と指導哲学に基づいたものでした。
1. 「やらされ感」ではなく「主体性」を引き出す
一方的に「教える」ことには限界があります。
人は、誰かに言われたことをそのまま実行するだけでは、
「やらされ感」が先行し、真の納得感やモチベーションが生まれにくいものです。
結果として、一時的にはうまくいっても、
応用が利かなかったり、困難に直面したときに自力で乗り越えられなくなったりします。
それに対し、「気づかせる」アプローチは、
相手自身が考え、試行錯誤し、
内側から答えを見つけるプロセスを促します。
自分で気づいたことには、
強い納得感と主体性が伴います。
この主体性こそが、困難を乗り越え、持続的に成長していくための原動力となると、
野村さんは考えていました。
2. 「考える力」の育成]]
野村野球は、「ID野球」(Intellectual Data Baseball)として知られるように、
常にデータに基づいた緻密な戦略と考える力を重視していました。
彼は選手たちに、ただ指示通りに動くのではなく、
「なぜそうするのか」「他にどんな選択肢があるのか」を
深く考えさせることを求めました。
「気づかせる」指導は、
まさにこの「考える力」を養うことに直結します。
答えを直接与えるのではなく、
ヒントを与え、問いを投げかけることで、
選手たちは自ら情報を分析し、状況を判断し、
最適な行動を選択する思考力を磨くことになります。
これは、野球選手としてだけでなく、
一人の人間として社会で生きていく上で不可欠な能力です。
3. 失敗からの学びと自己責任
野村さんは、
失敗から学ぶことの重要性を常に説いていました。
自分で考え、自分で下した決断であれば、
たとえそれが失敗に終わったとしても、
人はその経験から深く学び、次に活かすことができます。
しかし、他人に言われた通りにやって失敗した場合、
責任を他人に転嫁しやすくなります。
責任を他人のせいにしてしまうと
自分は悪くないので自己改善ができません。
つまり、また同じことを繰り返してしまいます。
「気づかせ屋」になることで、
選手は自分の行動に自己責任を持つようになります。
自分で考え、自分で決断した結果であれば、
成功も失敗も、すべて自分の糧として受け止めることができるからです。
この経験の積み重ねが、選手を精神的にも大きく成長させると、
野村さんは見ていたのでしょう。
4. 人間としての成長を見据えた指導
野村さんは、単に野球の技術を教えるだけでなく、
選手を一人の人間として成長させることを重視していました。
彼の言葉は、野球の世界に限らず、
ビジネスや教育、子育てなど、あらゆる「人を育てる」場面に応用できる普遍的な真理を含んでいます。
「教えるな、気づかせ屋になれ」という言葉は、
安易な正解を与えるのではなく、
相手が自ら問いを立て、考え、そして行動する力を引き出すことこそが、
真の指導者の役割であるという、野村克也氏の揺るぎない信念を表していると言えるでしょう。
私が気付いて腑に落ちて
昔意味が分からなかった気付かせることの大切さも
時を超え私の経験と共にそのことに自ら気付いて腑に落ちて
野村さんのエピソードを思い出したように
支援と言うのもまたそうなんだろうなと思います
教えるって大事
昔の人が見て覚えろというのも実は
技術的なものだけでなく、
自分で汗水たらして
考えて工夫して、失敗して、腑に落としたものでなければ
血や肉にはならないよってことなのかなと・・・
もしかしたら、現代の人は教えられすぎなのかなと思ったりもします。
正解を求め、答えを求め。
教えてもらうことが当たり前になっているのかもしれません。
野村さんのこの指導哲学は、
私たちの日々のコミュニケーションや、
誰かの成長をサポートする場面において、非常に重要な示唆を与えてくれます。

