日常生活を送る中で、私たちは時にこんな感情に囚われること(執着)があります。
- 「こんなにしてあげたのに、なぜ相手はありがとうと感謝しないんだ?」
- 「こんなに頑張っているのに、なぜ誰も褒めてくれないんだ?」
- 「こんなに困っているのに、なぜ誰も助けてくれないんだ?」
もし、あなたがこれらの感情を抱いたことがあるなら、
それは決して特別なことではありません。
しかし、これらの不満や文句の奥には、
私たちが目を向けるべき大切なメッセージが隠されているのです。
1.自分と他人の境界線:コントロールできない相手への期待
これらの不満の根源にあるのは、
自分と他人との間に明確な線引きができていないということです。
当たり前のことですが、相手は自分ではありません。
自分の思考、感情、行動をコントロールできるのは自分だけであり、
他者を意のままに操ることは誰にもできません。
「なぜ褒めてくれないのか」
「なぜ感謝してくれないのか」
「なぜ助けてくれないのか」
――これらの「なぜ」に対する答えは、
最終的に相手が決めることであり、
私たちがコントロールできる範疇にはありません。
まるで、勝敗の読めない野球の試合に期待して負けた後に文句を言ったり、
晴れるか雨が降るかわからない天気に「なぜ雨なんだ」と苛立ったりするのと同じです。
自分ではどうにもできないことに対して執着し、
そうならないことに怒りを感じるから、私たちは苦しくなるのです。
悪いのは相手ではありません。
だって、相手をコントロールできないのですから。
期待したのは自分自身です。
勝手に期待し、
勝手に失望し、
勝手に怒っている。
これはまさに自作自演です。
この事実に気づくことが大切です。
相手はコントロールできない存在。
だからこそ、相手に期待するのではなく、
自分ができることに集中するのです。
自分をコントロールできるのは自分だけ。
自分にできることを精一杯やる。
ただ、それだけが重要なのです。
2.「当たり前」という落とし穴:感謝の欠如と依存
さらに、これらの不満の背景には、
「相手が自分を支えてくれるのは当たり前」という
無意識の思い込みが存在していることがあります。
「やってくれて当たり前」という思考回路では、
感謝の気持ちは生まれません。
逆に、相手が何かをしてくれなくなった時、
そこには不満だけが残ります。
「相手が褒めてくれない」
「相手が助けてくれない」
「相手が感謝してくれない」。
これらの不満の主語は、常に「相手」です。
やってくれることが当たり前になっているため、
やってくれないと不満になる。
このような人の周りにいる人は大変ですし、
本人も不幸です。
なぜなら、自分の幸せを相手の行動に委ね、
コントロールできない相手に依存しているからです。
相手が自分に沿ってくれる時は心地良いかもしれませんが、
一度その状況が崩れると、途端に不幸のどん底に突き落とされます。
自分の人生なのに、自分の幸せが相手によって左右され、
コントロールできない相手に依存することで、
自分の人生の舵取りを放棄しているようなものです。
これでは、常に不安定な生き方を強いられることになります。
不満とイライラのサイン:自分を見つめ直すチャンス
だからこそ、私たちが不満やイライラを感じた時、
それは自分自身を見つめ直す絶好のチャンスなのです。
「あ、また自分の人生なのに相手のせいにしていたな。」
「また相手に期待して、コントロールしようとしていたな。」
「また相手に依存して、自分の足で立とうとしていなかったな。」
違うのです。自分の人生は自分のものです。
自分を幸せにできるのは、最終的には自分だけです。
自分の人生の主役は、常に自分自身なのです。
不満や文句が出てきた時、
それは立ち止まって自分自身に問いかけるサインです。
「私は今、何を期待しているのだろう?」
「私は何をコントロールしようとしているのだろう?」
「私は自分の人生を誰に委ねようとしているのだろう?」
その問いかけを通して、
私たちは他者への過度な期待や依存から解放され、
自分自身で人生を切り開いていく力を取り戻すことができるはずです。
不満や文句は、私たちを成長へと導く、大切な羅針盤なのかもしれません。

