「アンパンマン」という作品は、
子供たちに「愛と勇気」を伝えるだけでなく、
私たち大人にも、人間関係の奥深さや、
「大きな愛で包み込む」ことの真髄を教えてくれているように感じます。
物語に登場する、いわゆる「こじれた」キャラクターたち。
彼らの言動の中に、私たち自身や身近な人の姿を重ね合わせることもあるのではないでしょうか。
しかし、アンパンマンとその仲間たちの「大きな愛」は、
そんなこじれさえも包み込み、溶かしてしまう
不思議な力を持っているように見えます。
オクラちゃんとバイキンマン:純粋な心と向き合えない「こじれ」
例えば、野菜作りの「オクラちゃん」。
彼女は、自分が作った野菜を街の人たちに渡す時、
必ず涙を流しながら「美味しく食べてもらってね」と純粋な気持ちを込めて手渡します。
この純粋な姿は、もしかしたらバイキンマン自身の
「本当は愛されたい、純粋な心を持ちたい」という投影なのかもしれません。
だからこそ、バイキンマンはオクラちゃんが苦手です。
どんなにアンパンマンと激しい戦いを繰り広げていても、
オクラちゃんが「バイキンマンさーん」と優しく声をかけるだけで、
彼は「今日はこのくらいにしておいてやる!」と捨て台詞を吐き、
すごすごと帰ってしまうほどです。
これは、バイキンマンがオクラちゃんの純粋さ、
そしてそれによって自身の内にある「純粋な部分」が刺激されることに、
本能的な抵抗を感じているからではないでしょうか。
キャンディ姫としょくパンマン:与える愛の無限性
また、パン工場にいるみんなも、
まさに愛に溢れた深い心の持ち主たちです。
ある時、キャンディ姫がパン工場を訪れ、
先ほどバイキンマンから助けてもらったお礼にと、
チーズと食パンマンにキャンディを与えます。
しかし、その直後、「キャンディを食べたのだから、私の家来になりなさい!」と、
一方的に命令し始めます。
キャンディ姫の行動は、
まさに「与えたら見返りを求める」「自分の欲求を満たそうとする」という
「こじれた」心の表れと言えるでしょう。
にもかかわらず、
しょくパンマンは「分かりました」と笑顔で
その申し出を受け入れ、家来になります。
しょくパンマンはお供をする中で、
彼女の意図とは関係なく、出会うあらゆる困っている人たちを助けていきます。
キャンディ姫が
「食パンマン!助けなさい!」と呼んでも、
もうすでに彼は別の誰かを助けている最中で、
全くキャンディ姫の「家来」としては機能しません。
この状況にキャンディ姫はイライラし、
ついにはしょくパンマンを家来から解任してしまいます。
そんな矢先、バイキンマンがやってきて危険にさらされたキャンディ姫は、
絶体絶命の危機に直面します。そして、まさにその時、しょくパンマンに助けてもらうのです。
大きな愛が「こじれ」を溶かす
キャンディをあげたのだから家来になれと無理強いし、
助けてもらったお礼にキャンディをあげると言っておきながら、
キャンディを食べたら「家来になれ」と言う――。
キャンディ姫は、実に「こじれた」キャラクターです。
しかし、食パンマンの無償の愛と、
誰かを助けるという純粋な行動の前に、
キャンディ姫の「こじれ」は次第に毒をなくしていきます。
これは、大きな愛というのは、
小さな「こじれ」や「不純物」を希釈し、目立たなくする作用があることを
示しているのではないでしょうか。
「大きな愛で包み込む」とよく言いますが、
まさにそういうものなのだと思います。
このレベルの愛は、もはや相手がどうだとか、
良いとか悪いという次元の話ではありません。
相手の存在そのものを、
ありのままに受け入れるという、広く深い心がそこにあるのです。
大きな愛は、多少こじれた人がそこにいても、
そのこじれを目立たなくし、
むしろ相手の持つ本来の純粋さや善意を引き出す力があります。
まさに愛で包み込むとは、このこと。
アンパンマンの世界は、そんな無条件の愛の力を私たちに静かに教えてくれているのです。


