「手放せばいいんです」
スピリチュアルや自己啓発の世界ではよく聞く言葉ですよね。
でも、私はずっとこう思っていました。
「手放すって、どうやるの?」
「手放したいけど、それができなくて困ってるんだけど?」
そんな私が、「あ、これが手放すってことかもしれない」と気づいた経験を通して、
「手放すとは何か?」について、少しお話ししてみたいと思います。
手放す=「腑に落ちる」感覚
まず結論から言うと、「手放す」とは、
「腑に落ちる」ことなんです。
- 「ああ、そうだよね」
- 「それでいいんだよね」
- 「しょうがないよね」
そんなふうに、心の奥からしっくりくる感覚。
わざわざ「手放しました!」と宣言するものではなく、
自然ともうこだわっていない状態。
つまり、「手放そう」と力まなくても、
腑に落ちたときには、もうそれはすでに手放されているんです。
自己肯定感を上げたくて、苦しくなった私
私はかつて、自己肯定感がとても低い人間でした。
「こんな自分じゃダメだ」と思って、自己肯定感を上げようと努力しました。
- 自分の良いところを探す
- 頑張ったことを認める
- ポジティブな言葉をかける
でもそれは、言い方を変えれば「自己肯定感が低い自分を否定している状態」だったんです。
そして、ちょっと褒められて自信がついても、何か失敗したり、誰かに批判されたりすると、一気に自信が崩れ落ちる。
この「積み上げても壊れる感覚」に不安を感じた私は、
「壊れない自分」になろうとして、完璧主義になっていきました。
完璧じゃない自分を許せない
- できない自分はダメ
- 結果が出ないと意味がない
- 人より劣ってるのは恥ずかしい
そうやって、「できる自分」しか認められなくなっていきました。
でも人間って、
できることもあればできないこともあるし、
がんばっても結果が出ないときだってあります。
そんな「当たり前の現実」に、完璧主義の私はつまずきました。
「自分を良くするため」にやっていたことが、実は自分を傷つけていたんです。
でもそれに気づくのは、だいぶ時間がかかりました。
手放すきっかけ:「どうしようもない」という事実に気づいた
そんなとき、私はある考え方に出会いました。
「自分と他人をきちんと分ける」
他人の言動も、結果も、自分にはコントロールできない。
そして、実は自分自身の「結果」すらもコントロールできないことがあると気づいたのです。
がんばっても報われないことがある。
優秀な人がいたら、自分がどれだけ努力しても評価されないこともある。
その現実にふれたとき、私はこう思いました。
「あ、自分がすべてを完璧にコントロールするなんて、無理なんだ」
これが、「腑に落ちる」という感覚だったのだと思います。
別に「手放そう!」と強く意識したわけではない。
でも、「無理なことをなんとかしようとするの、もうやめよ…」と自然と思えた。
それが、完璧主義を手放した瞬間でした。
まとめ:「手放す」は、がんばることじゃない
「手放す」は、意識してやることではなくて、
事実に気づいて、
「あ、そうだよね」って心から納得したとき、
自然と起こる変化です。
だから、無理に「手放そう」としなくてもいい。
むしろ、無理して「手放そう」としているうちは、手放すことはできません。
- 気づくこと
- 腑に落ちること
- 自然と軽くなること
それが、本当の「手放す」なのかもしれません。