元パワハラ上司が気づいた、上下関係の真実

カウンセリング「大人の学校」

部活動、職場、家庭。
私たちの周りには、常に「上下関係」が存在します。

部長と平社員、管理者とパート、先輩と後輩、
さらには夫婦や親子関係まで。

本来、役職や地位は、責任の所在を明確にし、
仕事の分担をスムーズにするためのもののはずです。

しかし、私の経験上、
それはしばしば、個人の欲求や不安が絡み合い、
人間関係をこじらせる元凶となっていました。

かつての私は、まさに「こじらせ上司」でした。
地位が下の頃は、「いつか上になって、理不尽な扱いを受けてきた分を見返してやる」と
心に誓っていました。

そして実際に上に立つと、
部下の反発に「生意気だ」と感情的に反応し、
自分の意のままにコントロールしようと必死でした。
結果として、多くの人が私の元を去っていきました。

なぜ、人はここまで「上下関係」を作りたがり、
その上に立とうとするのでしょうか?
そして、なぜそれが多くの問題を引き起こすのでしょうか?

「偉い」と思われたい欲求の裏側にあるもの

私が当時抱えていたのは、
「上にいる=自分の思い通りになる=チヤホヤされる」という歪んだ認識でした。
※ただし、この当時自分にその自覚はない。

これは、自分自身を満たせない(そのままの自分では価値を見いだせない)からこそ、
周囲を使って自己肯定感を得ようとする行為に他なりません。
まるでキャバクラやホストクラブのように、
お金を払ってでも自分を特別扱いしてほしい、という欲求に近いのかもしれません。

しかし、自分の内側が満たされていない人間は、
「与えられる」ことをベースにしてしまいます。

つまり、相手が自分に何かをしてくれることを過剰に期待し、
それが満たされないと不満を募らせるのです。

これこそが、人間関係における「執着」の正体でした。

コントロールできない相手への怒り、そして支配へ

相手は、あなたの思い通りにはなりません。
当たり前のことです。
にもかかわらず、
「どうしてこれをしてくれないんだ?」
「なぜ、あれをやったんだ?」と、
私たちはコントロールできない相手に対して、勝手に不満を抱きます。

「どうしてこの仕事ができていないんだ?いついつまでって言ったよね?」
「俺の指示を無視するな、なんで何回教えても分からないんだ?」

当時の私は、このように相手を責めまくっていました。
「自分が偉い」ということを言い聞かせ、
必死に自分の権威を示そうとしていたのです。

「ここは締めないとダメだ」
「けじめだ、礼儀だ」と、もっともらしい言葉を並べながら、
ただ相手をコントロールし、従わせたいだけ。
そして、「自分には価値があるんだぞ」と見せつけたいだけでした。

しかし、そんなことをすればするほど、人は離れていきます。
「あの人、やばい」と避けられるのは当然です。
※本人はそれでも自覚が全くありません。

思い通りにならない現実への苛立ちから、
さらに支配を強めようとする。これが行き過ぎると、パワハラとなります。

昨今の体罰禁止やセクハラも、
結局は「力ずくで相手をコントロールしようとする」行為の現れです。

コミュニケーションの取り方が分からない。
または相手を尊重する意識が欠けているために、
上下関係という力の構造を使って、無理やり従わせようとしてしまうのです。

部下を仕事終わりに無理やり飲みに連れ回したり、
お金も出さずに「餌付け」して自分の下に置こうとする。

それは一見、関係を築いているように見えて、
実は相手を信用しておらず、
「いつ反抗されるか」「いつ見捨てられるか」と常にソワソワしている状態です。

歴史を振り返れば、
織田信長が明智光秀に裏切られたように、
下の者が逆らったり、見捨てていくことは往々にしてあります。

夫婦関係や子育てにおいても同じことが言えます。
退職と共に離婚したり、
思春期を迎えた子どもに相手にされなくなったりするのは、
決して珍しいことではありません。

私が気づいた「上下関係」の真実

かつての私は、
自分が「こじれている」ことに気づかず、
地位にしがみつき、それをちらつかせて権力で人を従わせようとしていました。
それは人と人との信頼関係とはかけ離れたものでした。

「給料を出しているんだから働け!」
「社長なんだから偉いんだ!」と言葉に出すことはありませんでしたが
こんなことを言っていたら、誰もついてくるはずがありません。

原因は自分にあるのに、
その自覚がなければ改善しようもありません。
まさに「救いようがない」状態でした。

しかし、私はある時、
「原因は自分にあるのではないか?」と考え、
自分と向き合う時間を持ちました。

そこで気づいたのは、「思い込みがあった」ということです。
社長という地位はあっても、別に「偉い」わけではない。
そもそも「偉い」「偉くない」という考え方自体がズレている。
人間は皆、対等な存在なのです。

社長だって、働いてくれる人がいなければ会社は成り立ちません。
むしろ、社員に支えられているのです。

かつての「誰のおかげで飯が食えていると思ってるんだ!?」と言っていた
頑固おやじみたいなものかもしれません。

不安が作り出す「上下関係」という防衛機制

では、なぜそこまで「上下関係」を作りたがったのか?
私の場合は、不安だったのだと思います(これは人それぞれ違うと思います。)。
人間関係に不安があり、
「他人は敵だ」という感覚を強く持っていました。
※これも無自覚でした。

過去のいじめや職場の人間関係での悩みが、
他人を信用できない根本原因となっていたのです。

これもまた、
自己肯定感の低さが根底にあったのだと感じています。

その上で、「人の下にいれば、ますます自己肯定感が下げられてしまう」という恐怖から、
「上を目指せば、みんな自分に従うだろう」という感覚で、上に立とうとしたのでしょう。
自分が不安から逃れるために、上下関係の上に立つことを目指してしまった。
※これも気付けばそういうことかですが、当時は自覚なくやっています。

しかし、人間関係は対等でなければ、真の信頼関係は成り立ちません
地位がただ「あるだけ」ならまだしも、

そこにプレッシャーや力、支配の意識が加わり、
相手を言いなりにさせようとすれば、

常に下の者の様子をうかがい、
自分の言うことを聞いているか見張っていなければなりません。
それでは、他人を信用することなどできません。
いつ裏切られるかとソワソワし続ける日々です。

この気づきが、私自身の人間関係を大きく変えるきっかけとなりました。

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