私たちはつい、「完璧でなければならない」と思い込みがちです。
特に社会で生きていると、ミスなく仕事をこなし、
誰からも認められたいという気持ちが強くなります。
私も以前はそうでした。
「常に完璧であり続けなければ」という思いから、
朝から晩まで仕事に追われ、時間ばかりが過ぎていきました。
でも、どれだけ頑張っても、本当に目指したい自分にはなれない。
なぜなら、それは「弱い自分を守るため」の武装だったからです。
「仕事ができる」「完璧」…一見すると強そうに見えますが、
それは不完全な自分を隠すための仮面だったのかもしれません。
人間は、そもそも不完全で弱い生き物
考えてみてください。
私たちは、他人に嫌なことを言われれば傷つくし、
SNSの誹謗中傷に心を痛める。
それでも、自分の「リア充」をアピールして「いいね」を求めてしまう。
これは、まさしく承認欲求です。
でも、それは「悪いこと」ではありません。
それが人間であり、弱さです。
だからこそ、「そんな自分も自分だよね」と受け入れること。
そう思ってしまう自分を否定しないこと。
「こんな自分じゃダメだ、もっと強くならなきゃ」と自己否定してしまうと、
自分自身を肯定できなくなり、力を失い、
「自分には価値がない」と感じてしまいます。
「完璧じゃない、弱い」がデフォルト
そもそも、人間は完璧ではないし、弱いのがデフォルトです。
でも、なかなかそれを受け入れられないから、
自分を「すごい」と見せようと武装してしまう。
ざっくり言うと、頑張りすぎてしまうんです。
「すごいね」と言われたいから。
「あの人、こんなミスしてたんだよー」と他人に言われたくないから。
他人から批判されたくない、嫌われたくないから。
でも、他人はコントロールできません。
他人がどう思うか、何を言うか、何をするか、
私たちはコントロールできないんです。
だから、そんなことを気にしても仕方がない。
中心は「自分」
だから、自分は自分のやりたいことをやるしかないんです。
間違ってたら、間違ってたでいい。
間違ってたなら直せばいいし、それに気づいて自分が成長すればいい。
他人の目ばかり気にすると、
中心が他人になってしまい、疲れてしまいます。
中心は自分にしなければなりません。
もちろん、「他人はどうでもいい」というわけではありません。
人間は弱いから、一人では生きていけない。
支え合っていくからこそ、思いやりは必要です。
でも、それ以上は必要ありません。
自分の人生なんだから、自分のやりたいことをすればいい。
目的があって、そこにむかって自分が成長して、
最終的にやりたいことができたら、それでいいんじゃないでしょうか。
過去の経験から、今思うこと
実は、私はこれまでの生きづらさを改善できたら、
それを色々な人に伝えたいと思ってずっと生きてきました。
私のように苦しんでいる人に、「ああ、そうすればうまくいくんだね」という感覚を届けたい。
もしかしたら、その思いが余計に自分を苦しめていたのかもしれませんが(笑)
でも、今はそれが腑に落ちています。
自分の人生は自分で切り開いていける。
自分には自分の人生を良くしていく力がある。
やるべきことは自分の成長であり、
そのことが周りの人たちの役に立ち、いい影響を与えることができる。
これが今の私にとってのデフォルトになっています。
自分への信頼や自信があるんです。
といっても、まだまだ他人の目も気になりますよ(笑)。
でも、すぐにその思考に気づけるようになりました。
「まだそんな自分いたんだな」と、それと向き合うことができる。
だって、ダメじゃないんだもん。人間だもの。
だから、そんな弱さを受け入れて、
それからどうする?逃げる?それとも、向き合う?


