娘の影響でアンパンマンを観る機会が増えました。
最初はただの幼児向けアニメだと思っていましたが、
観れば観るほど、その世界観の深さ、
そして私たち大人がハッとさせられるような「なるほど!」と感じる設計に驚かされます。
特に、作中でかばおくんというキャラクターの存在について
考えるようになりました。
彼は、うなどんまんが来れば「おいしい!」と食べ、
サンドイッチマンが来れば満面の笑みで食べる。
常に与えられるだけのキャラクターで、
アンパンマンや他のキャラクターに何かを「あげる」ことはありません。
現実世界では、ただもらうだけの関係では成り立たないと私たちは考えがちです。
しかし、物語の中でジャムおじさんが氷の女王に捕らえられ、
自身が宝石にされそうになった時、彼はこう説くのです。
「宝石よりも美しいものを私は知っているよ。
それは私のパンを食べてくれるみんなの笑顔だ」と。
氷の女王やばいきんまんにとっては耳障りな言葉でしょうし、
正直、私も初めて観たときは「きれいごとだな」と感じました。
それでも、何度も観るうちに、
かばおくんの「価値」を深く認識するようになったのです。
最近、2歳の娘がご飯を食べて「おいしい」と
言ってくれるようになりました。
作った側として、これほど嬉しいことはありません。
おいしそうに食べてくれる、
ただそれだけで、
実は相手に大きな喜びや価値を与えているのかもしれない。
そこにいるだけで、その存在自体が価値を生み出しているのかもしれない。
以前、遊園地で大道芸人ショーを観た時のことです。
そこにたくさんの人がいるからこそ、
ショーが盛り上がっているように感じました。
ラーメン屋の行列も同じです。
行列があるからこそ、その店は繁盛しているように見える。
つまり、「おいしい」と言葉を言わなくても、そこにいるだけで価値がある。
この気づきは、私たち人間にも当てはまります。
私たちはとかく、何かを成し遂げたり、
誰かの役に立ったりすることに「価値」を見出しがちです。
しかし、アンパンマンとかばおくん、
そして娘の「おいしい」という言葉を通して、
私は「人間は、そこにいるだけで、生きているだけで価値がある」と
強く感じるようになりました。
私たちは皆、存在しているだけで誰かに影響を与え、喜びを与え、
そして何かしらの価値を生み出しているのかもしれません。

