「ある」ことに気づく:私たちは、生かされている。与えられている。

カウンセリング「大人の学校」

私たちは日々、
当たり前のように多くの恩恵を受け取って生きています。

冬の寒い日でも、ストーブ一つで家の中は暖かく、
ジャンバーや布団で寒さをしのぐことができる。

雪が降ればスコップがあり、気づけば夜のうちに大きな道路は誰かが除雪してくれている。

会社に行けば、時間通りに来てくれて、時間になるまで仕事をしてくれる従業員がいる。自分のやりたいことを伝えれば、快く協力してくれる仲間もいる。

これらはすべて、私たちに「与えられている」もの。

与えられているものから、与える人へ

私たちは、この与えられたものをどう生かしていくか、という生きる目的使命を持ってこの世に存在しています。

さらに言えば、その与えられたものを、今度は周りの人のため、世の中のために生かしていくこと。つまり、与えられる側から、与える人になることが、私たちの究極的な喜びにつながるのではないでしょうか。

しかし、与えられていることがあまりにも「普通」すぎて、私たちはその「ある」ことに気づけていません。だから、感謝の気持ちが薄れ、「あれがほしい」「これがなければ自分は不幸だ」と思い込んでしまう。勝手に幸せの基準を高く設定し、自ら苦しくなっているのが現状です。


コントロールできないものが教えてくれること

「ある」ことに気づくのは、簡単なようで難しい。なぜなら、身近にありすぎて、当たり前にもちすぎて、その存在に意識が向きにくいからです。

例えば、水道から水が出ること。おいしいご飯が食べられること。休日に家族と出かけられること。これらは一見、当たり前のように思えます。しかし、ここに**「自分と他人の線引き」**を明確にすることで、見え方が変わってきます。

人間は、自分のことしかコントロールできません。 自分が何を考え、何を言い、何をするかは、自分自身だけがコントロールできる領域であり、誰にも支配されない主体的な領域です。

しかし、その逆もまた真実です。自分以外のものは、ほとんどコントロールできません。

  • 水道から水が出なくなることもあるかもしれません。もし出なくなっても、あなたにはどうすることもできません。なぜなら、水道の管理をあなたがしているわけではないからです。
  • おいしいご飯も、お気に入りの飲食店が倒産すれば食べられません。自分で作ったとしても、その材料は誰かが育ててくれたもの。それもまた、あなたがコントロールできる範囲を超えています。
  • スマートフォンで動画が見られるのも、誰かがスマホを作り、Wi-Fi環境を整備してくれたおかげです。

つまり、自分がコントロールできないものはすべて、他人からもたらされたものなのです。


「生かされている」という視点

この「自分がコントロールできないものは他人からもたらされたもの」という視点を持つとき、私たちは「自分は恵まれている」という事実に気づくことができます。そして、「ある」ことが当たり前ではない、という深い理解に到達します。

「お客様だから偉い」「お金を持っている人が偉い」「社長だから、高給取りだから、稼いでいる奴が偉い」といった、一般的な社会的価値基準は、この視点から見ると、ズレていることがわかります。

自分がコントロールできること以外は、すべて他人からもたらされたもの。この恵まれているという視点があれば、私たちは日々の生活がいかに多くの人々の支え合いで成り立っているか、「いかに自分が生かされているのか」ということに気づくことができるでしょう。

この気づきが、私たちの日常に、真の感謝と愛をもたらすきっかけとなるはずです。

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