与えられる人から与える人へ ~「自分ばっかり」と思うとき~

カウンセリング「大人の学校」

「私たちは生かされている」

ふと立ち止まってあたりを見回すと、
私たちは本当に多くのものに支えられ、
与えられて生きていることに気づかされます。

例えば、蛇口をひねれば当たり前のように出てくる水。
もしそれが突然止まってしまったら、
私たちはどうすることもできません。
なぜなら、水道の管理は私たちが直接行っているわけではないからです。

毎日美味しいご飯が食べられるのも、
お気に入りの飲食店があるからかもしれません。
しかし、そのお店がもし閉店してしまったら?

自分で料理するとしても、
お米を作ってくれる農家さん、
野菜を育ててくれる人がいるからこそ、
私たちは食材を手に入れることができるのです。

それもまた、私たちがコントロールできる範囲を超えた、
誰かの「与え」によるものです。

少し前には考えられなかったことですが、
今や私たちはスマートフォン一つで世界と繋がり、
様々な情報を手に入れることができます。

動画を見て楽しむのも、
誰かがスマホを作り、Wi-Fi環境を整備してくれたおかげです。

このように考えると、
どんなに自立していると考える大人であっても、
現代社会において完全に時給自足で生きている人はほとんどいません。

私たちは、
多くの人々の働きによって「与えられて」生きているのです。

「与える」ことこそ、私たちの生きる目的

では、与えられて生きる私たちは、
その上で何をすべきなのでしょうか?

お米を作ってくれる農家さんは、
私たち消費者に食料を与えてくれています。

スマホを作る人は、私たちに便利なツールを与えてくれています。
Wi-Fi環境を整備してくれる人は、情報へのアクセスを与えてくれています。

そうした「与え」があるからこそ、
私たちの生活は成り立っています。

そして、
その恩恵を受けている私たちは、
今度は何ができるでしょうか?
何をみんなに与えられるでしょうか?
何で社会に貢献できるでしょうか?


私は、ここに私たちの生きる目的があるのではないかと思います。
それは、一方通行の受け取りではなく、循環を生み出すこと。

得意なこと、好きなことは人それぞれ違い、
与えられた時間も皆平等に24時間。
その中で、私たちにできることは限られています。

全てを自分一人で行う必要はなく、
それぞれの得意分野で分担し、
支え合っていると考えることができるでしょう。

受け取る感謝と、与える喜び

大切なのは、ただ受け取るだけでなく、
「自分は何を世の中にお返しできるか」という視点を持つことです。

「自分さえよければいい」
「自分さえ儲かればいい」という考え方は、
この循環の原則に反し、
巡り巡って自分自身に返ってくる可能性があります。

だからこそ、私たちは
「自分は何ができるんだろう?」と考えるのではないでしょうか。

与えられていることに気づき、
感謝の念を持つとき、自分一人の力の限界を知り、謙虚な気持ちが生まれます。


そして、自然と誰かの役に立ちたい、
社会に貢献したいという心が湧き上がってくるのではないでしょうか。


普段、私たちは与えられていることに気づかず、
自分ばかりが損をしているように感じてしまうこともあるかもしれません。

しかし、少し立ち止まって周りを見渡せば、
私たちが自覚している以上に、
はるかに多くの「与え」の中で生きていることに気づくはずです。

その感謝の気持ちを原動力に、
今度は私たちが「与える人」になる。

その循環の中にこそ、
私たちがこの世界で生きる喜びと意味が見出せるのではないでしょうか。

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