私たちは、スキルアップや知識の習得、経験を積むことを「成長」と呼びます。
もちろん、これらは素晴らしいことですが、
本当に深い意味での人間的な「成長」は、
私たちが避けて通りたいと願う「絶望」という経験の中にこそ隠されています。
「弱い自分」から逃げ続けるとどうなるか?
まず、考えてみましょう。
あなたは「弱い自分」と向き合うのが怖くて、つい目を背けていませんか?
例えば、
- 問題から逃げて、先延ばしにする
(例えば、苦手な人がいて、無意識的に近寄るのを避けてしまう) - 自分の失敗を他人のせいにする
(待ち合わせの場所に相手が来なかった。相手が悪い。) - 誰かに頼りきって、自分で解決しようとしない
(会議で批判されたくないから発言しない、会議が終わった後に発言した人を批判してその人を批判することで自分の思い通りにしようと操作する) - 失敗を恐れて、新しいことに挑戦しない
(エンジニアになりたいと言っているのに、お金がないから、両親が妻が家族がいいと言わないからできない。) - 自分の弱さを隠すために、他人を攻撃したり批判したりする
(例えば、思春期の娘が自分のことを避けている。育ててやったのにとんでもないやつだと批判する)
もし心当たりがあるなら、
それは「弱い自分」からの逃避かもしれません。
このような逃避を続けていると、どうなるでしょうか?
残念ながら、私たちは一生、弱くてちっぽけな自分のままになってしまいます。
そして、死ぬまでイライラし、弱いものに当たり散らし、器の小さいまま生きてしまうことにも繋がりかねません。
心の奥底に抱える不満や不安が解消されないため、
常に心が不安定で、その感情が周囲に悪影響を与えてしまうのです。
「絶望」が「本当の自分」との出会いを促す
しかし、「絶望」という極限状態に直面することは、
もはやこの「弱い自分」から逃げられなくなる瞬間でもあります。
この時、私たちは初めて「本当の自分」、
つまり飾らない、ごまかしのない、ありのままの自分と向き合うことになります。
※自分が傷つかないように逃げたり、他人のせいにしたり、正当化してきた自分。
この経験は、これまでの自分のごまかしや弱さ、
見て見ぬふりをしてきた現実に直面するため、
非常に痛みを伴うでしょう。
※ただ、私の場合は痛みはなかったです。あまりにも反論できない感覚だったので、受け入れるというか、「はいそうです」と素直に自白するしかない感覚でした。
しかし、その痛みこそが、
あなたの自己変革の扉を開く鍵なのです。
絶望の先に掴む「希望」と「真の強さ・優しさ」
絶望の淵で「本当の自分」を受け入れたとき、
私たちは初めて「希望」を掴むことができます。
この希望は、単なる楽観的な願いではありません。
それは、どん底を経験し、自分の弱さを知り尽くしたからこそ生まれる、
揺るぎない内なる光なのです。
そして、このプロセスを経ることで、あなたは大きく変化します。
- 真の強さの獲得: 自分の弱さを知り、それを受け入れた人は、他人の批判やどんな困難な状況にも揺るがない心の強さを手に入れます。それは、表面的な虚勢ではなく、内側から湧き出る確固たる自信です。
- 真の優しさの獲得: 自身の痛みや苦しみを深く経験した人は、他人の痛みや苦しみを想像し、深く共感できるようになります。これが、上から目線ではない、真の意味での優しさに繋がります。他人の弱さや失敗にも寛容になり、支えることができるようになるのです。
一般的な成長と、絶望がもたらす成長の決定的な違い
ここで語られる「成長」は、一般的なスキルアップや知識の増加、経験値の上昇とは大きく異なります。
| 一般的な「成長」 | 「絶望がもたらす成長」 |
|---|---|
| 知識やスキルの向上 | 自己認識の深化(ありのままの自分を受け入れる) |
| 経験の蓄積、量的拡大 | 価値観の再構築(真に大切なものを見出す) |
| 社会的適応、効率性向上 | 主体性の確立(自分の人生の責任を自分で取る) |
| 精神的な強靭さ(レジリエンス、本質的な自信) | |
| 人間的な優しさ(深い共感力、器の大きさ) |
つまり、ここでいう「成長」とは、
表面的ではない、人間の根幹に関わる精神性や人格の変容なのです。
それは、単に「できることが増える」というよりも、
「人としてどうあるか(これが、いわゆる、あり方)」という部分が大きく、
深く、そして肯定的に変化していくことを意味しています。
あなたが本当に成長し、人間としての器を広げるためには、
この「絶望」という試練を避けずに受け入れ、
そこから「希望」を見出し、弱い自分を乗り越えることが不可欠なのです。
そして、
主体性を取り戻し
自分の人生は自分で決められる自信を手に入れたとき
自分に対してゆるぎない自信が、さらに、人生を切り開くパワーになっていくことでしょう。


