失敗から学ぶということ:看護師時代の私が「仕事ができない」と悩んだ理由

カウンセリング「大人の学校」

看護師時代の私は、
常に「仕事ができない」という劣等感に苛まれていました。

周りの同期が次々と一人前になっていく中で、
私だけが取り残されていく現実。

どれだけ努力してもミスばかりで、
同僚との人間関係も悪化し、職場に行くのが本当に苦痛でした。

「昨日できたことが今日はできないなんて、
人間は完璧じゃないし、記憶がなくなることだってあるじゃないか」
――当時の私は、そう心の中で叫んでいました。
しかし、今振り返ると、それは自分を守るための言い訳だったのだと痛感します。

努力と結果が結びつかない「生き地獄」

毎日、仕事が終わって家に帰ってからも、
寝る間も惜しんで勉強しました。

どうすればミスをなくせるのか、
どうすればもっと認められるのか、必死で考え、行動していたつもりです。

それなのに、現実は一向に変わらない。
むしろ、周りとの差は開くばかりでした。

「神様、助けてください」――本当にそう願うほど、追い詰められていました。
努力すれば報われると信じていたのに、
どんなにもがいても状況は好転しない。
まるで生き地獄でした。

いっそ病気になって入院した方が楽になるのではないか、
とさえ思ったこともあります。

皮肉なことに、そういう時に限って体は丈夫なんですよね(笑)。

怒られることへの過敏さと、完璧主義の罠

当時の私がこれほどまでに苦しんだ背景には、
私の生育歴からくる「怒られることへの過敏さ」があったと思います。

怒られることは「嫌われること」と直結し、
常に人に嫌われることへの恐怖を抱えていました。

だからこそ、「嫌われないように完璧でいなければ」という強迫観念に囚われ、
現実と理想のギャップに疲弊していったのです。

自分を改善しようと努力はしていました。
しかし、その努力の根底には、無意識のうちに「自分を守りたい」という気持ちが強くあったのだと思います。

「これだけやっているんだから仕方がない」
「どうにもならない状況のせいだ」と、
最終的には他人のせいにして自分を納得させていたのかもしれません。

そして、そのことに気づくには、
当時の私はあまりにも弱すぎました。
現実を受け止める強さがなかった。

今ならそう言えますが、
当時は自分を守ることに必死で、
そんな客観的な視点を持つことは不可能でした。

「自分を守る」から「主体的に生きる」へ

そもそも看護師になったのも、
私にとっては「逃避」の側面が大きかったと今ならわかります。

しかし、今となっては、自分の適性を理解し、現在の仕事に就いていることで、
「人間は適正化されていくものだ」という感覚も持っています。

それでも、過去の経験から、せっかく強制リセットされたに、
根本の自分が変わっていないから
やっぱり、おかしな選択をして、自分でまた状況をこじらせていく
そんなことが起こりえることも理解しています。

やはり、自分が変わらなければ現実は変わらない。
一度リセットしても、また同じような方向に戻されてしまうのではないかと感じます。

では、「自分が変わる」とはどういうことなのでしょうか。
私にとってそれは、「主体的に生きる」こと
そして「自分のコントロールできるものに集中する」ことだと今は考えています。

他人にどう思われようと、どんな批判をされようと、
自分のできることに集中し、それを貫くこと。

ここには正解も不正解もないですし
テンプレートもないので
現実で試して行くしかない。現実で答え合わせをして
現実から受け取り、また、次の挑戦に生かす。

仮にうまくいかなくても
そのときの自分にとって最善だったわけですし
そこから自分が成長していけばいい
別に一度はやったけど、ちがうと思ったら、前言撤回したっていいわけです。
それが、私がたどり着いた答えです。

失敗することから逃げるのではなく
自分を守るのではなく
自分の成長だけにフォーカスして
挑戦し続けること
これが足りなかったんだと今は言えます。

苦い経験が教えてくれたこと

今の私が言えること
今仕事ができなくて苦しんでいる、辛いという方に
もし私が言えることがあるとしたら

仕事ができない原因は自分にあり
逃げること、正当化することをやめなければならないということです。

でも、自分が弱いと(弱いという自覚すらない)
そのことを受け止められない。
だから、必死で逃げるしかなくなるんですね。
自分を守るしかなくなる。
でも、それだと自体は改善しません

当時の私は、本当に弱かった。
でも、あの苦しい状況の中で、よく頑張ったなと、
ある意味で自分に感謝しています。

同じ失敗をしても
自分を守る、逃げることに注視してしまうと積みあがっていきませんが
成長、グロースにフォーカスできれば、積み上げていくことができます。

あの辛い経験があったからこそ、
今こうして自分の経験をブログに書き、言語化できるようになりました。

この経験は、私と同じように苦しんでいる誰かの役に立つかもしれません。
そして、この経験があったからこそ、様々な気づきを得ることができました。
あの看護師時代の苦悩は、決して無駄ではなかったのです。

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