「愛する」とは何か? ~それもしかして、愛しているではなく、ただの支配、服従かもしれません~

カウンセリング「大人の学校」

こんにちは。今回は、少し深く、そして多くの方が心に抱えているかもしれない「愛し方」についてのテーマです。

「愛された経験がない人は、愛し方がわからない」
――この言葉に、ハッとさせられる方もいるかもしれません。
愛された経験がない(もしくは、十分に愛された感覚がない)と、

私たちは無意識のうちに
相手を支配したり、服従させようとしたり、
自分の言うことを聞かせようとしてしまうことがあります。

なぜなら、それ以外の「愛の形」を知らないからです。

支配する側もまた、苦しんでいます。
それが唯一のコミュニケーションだと信じているからこそ、手放すことができない。

どちらが良い悪いという話ではありません。
しかし、そうした人と関わったパートナーや子どもたちはどうなるでしょう。

支配されるか、あるいは反発するか。
どちらにしても、そこには本当の幸せを見出しにくい現実が待っています。

これ実は、何を隠そうこれは私自身です。

私の場合は、子供が生まれたこと、会社の代表になったタイミングがほぼ同時期で
このままでは、この子だけでなく、会社にいるスタッフさんに
悪い影響を与えてしまうかもしれないと、
なんとなく自分でそう思うようになって(この段階ではなんとなくでしかありませんでしたが)

自分を変えることで
周りにいい影響を与えられる人になろうと思い。
その時期から業務量をおとし
休む日も増やして、
自分と向き合う時間を増やして
自己改善することができました。

今日はそんなところからお話できればと思っています。


「生きづらさ」の根源:支配の連鎖

自分がかつて愛されたのか、
それとも支配されてきたのか。

極論すれば、それはどうでもいいことかもしれません。
大切なのは、もし今、あなたが生きづらさを感じているなら、
それは過去の経験が影響している可能性が高いということです。

そして、最も重要なのはここからです。
もし今、あなたが「支配する側」にいるとしたら、
ここであなたがその連鎖を止めない限り、
あなたの子供もまた「愛されない子供」として育ってしまう可能性が高いのです。

愛されずに育つと、
私たちは自分の執着や価値観を相手に当てはめようとしてしまいます。

要するに、「自分が思った通りに相手を動かそう」としてしまう。
相手をコントロールしようとする。
※いつも申し上げていますが、相手はコントロールできません。
 コントロールできるのは自分だけです。
 でも、そのことに本人が自覚がないから苦しいし
 変えられないので、周りも不幸になってしまうのです。

その結果、相手は支配され、服従させられ、
これがエスカレートすれば「虐待」へとつながってしまうこともあるのです。


愛するとは何か?執着を手放すこと

愛するとは、
自分の価値観で相手を型にはめて育てることではありません。

それは、相手をあるがままに受け入れること。
相手を変える必要がないと知ること
です。
※とはいえ、このあるがままに相手を受け入れる
 言葉で言うのは簡単ですが、難しいですよね。

もし「相手を変えたい」という気持ちがあるなら、
そこには「執着」があります。
そして、この執着こそが「偏見」に他なりません。

物事には、常に多様な見方があります。

  • 例えば、夜空を見て「もう寝なきゃ」と感じる人もいれば、「今日はよくやったぞ!」と達成感に浸る人もいるでしょう。
  • 何か失敗をした時に、「これで次こそ成功できるぞ!」と前向きに捉える人もいれば、「どうしてできなかったんだ」と自分を責めてしまう人もいます。
  • 雨の日を「外出できない退屈な日」と見る人もいれば、「恵みの雨だ」と喜ぶ人もいます。
  • 問題が起きた時に、「なぜこんなことに…」と嘆く人もいれば、「これは成長のチャンスだ」と捉える人もいます。
  • 静かな時間を「孤独だ」と感じる人もいれば、「自分と向き合う貴重な時間」と感じる人もいます。

このように、同じ物事でも、捉え方は無限にあります。
しかし、執着とは、その多様な見方を許さず、たった一つの見方、
つまり「自分の価値観」だけを唯一の正解として押し付け、
それ以外を許さないことなのです。

※ただし、やっている本人が自分はそういうことをしているという自覚がない。
 だから直しようがないというのが現実でもあります。


家族を「忍者屋敷」にしていませんか?

もし、あなたがこの「執着」をあらゆるものに当てはめてしまったら、どうなるでしょう。

まるで、忍者屋敷や敵のアジトにある、
触れたらダメージを受ける見えない赤外線センサーのように、
日常生活のあちこちに「地雷」を仕掛けている状態です。

かがんだり、身体を曲げたり、
そうこうしているうちにちょっとしたことで「ビリビリ!」とダメージを受けてしまう。

そんな環境では、
家族はおちおちご飯も食べられないでしょうし、
トイレに行くことすら安らげないかもしれません。
果たして、あなたは家族にそんな思いをさせたいでしょうか?


コントロールできるのは「自分」だけ

人は、自分のことしかコントロールできません。
彼氏や彼女だろうと、家族だろうと、どんなに大切な相手でも、
その心を、行動を、完全にコントロールすることは不可能です。

愛された経験がなく育つと、無自覚に相手を支配しようとし、
その結果、自分の子供もまた「愛されない」と感じて育ってしまいます。
そして、その子供もまた、次の世代に同じ連鎖を繰り返してしまう…。

自分が子供のために本当にできることは、
子供を心から愛することです。

※この言葉だけだとわかりにくいので、
 心から子供を愛するとは、私はあるがままに受け入れるということだと思います。
 あるがままに受け入れるということは
 子供がどんな子供でも、受け入れるということです。

 これをこんな子供ならOK
 あんな子どもならダメと言っている時点で
 自分の価値観が入ってジャッジしています
 要するに執着がある状態です。

 どんな子供でもいいのです。
 なぜなら、子供は自分ではない

 つまり、子どもはコントロールできないのです。
 コントロールできないものをコントロール(変えよう)とするから
 苦しくなるのです。
 それは、今日の天気を変えようとするくらい、無茶苦茶なことをしています。

しかし、「愛されていない人は支配することでしか愛せない」という
悲しいループに陥ってしまいがちです。


だからこそ、自分に集中する

では、どうしたらこの連鎖を断ち切れるのでしょうか?
その答えは、「自分のことに集中する」ということです。

他人のことをコントロールできない。
これは決して諦めろと言っているのではありません。

「他人はコントロールできない」という、
変えようのない大前提を腑に落とすことです。

親を恨んでも、過去が変わり、現実が変わるわけではありません。
何度も言いますが、変えられるのは「自分だけ」です。

だったら、親に文句を言い続けるのではなく、
自ら自分の人生を変えることができるように、
一歩を踏み出す時です。
愛の連鎖を、あなたの代で新しく始めましょう。

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